運営委員の中村さんが執筆された世田谷支部のまちあるきが『建築士 北から南から』に掲載されました。

東京建築士会世田谷支部まちあるき平成2 5 年に発足した東京建築士会世田谷支部では、活動の一つとして「まちあるき」を実施しています。関東大震災以前の大正9 年には人口約4 万人、6 千世帯程度の農業地域であった世田谷区、現在人口約8 7 万人、約4 5 万世帯の一大住宅地として変貌を遂げてきました。世田谷の住宅地がどのように造られ、育まれてきたのか? 又、現在どのように受け継がれ、或いは捨てられようとされているのか?明治初頭のフランス式彩色地図等旧版地形図、世田谷区教育委員会等の建物悉皆調査資料を片手にまちを歩き、これからの世田谷に大切なものを探ろうと言う活動です。

第一回は、明治中期の旧軍施設の進出と、その跡地利用を訪ねて三宿、池尻。更に大正1 0 年の太子堂府営住宅跡地、戦争中下谷区( 現台東区) 谷中から疎開してつくられたと言われる下の谷商店街を歩きました。

第二回は、大正2 年に東京信託㈱が分譲した新町分譲地と、大正1 3 年に第一土地建物㈱が分譲した左内町分譲地を歩きました。この時は地域の市民グループ( さくらフォーラムと上北沢桜並木会議) にご案内頂きました。

第三回は、昭和1 0 年に箱根土地㈱が分譲した守山園分譲地と、かつて三大船成金として名をはせた旧勝田銀次郎邸を、昭和3 年に同じく箱根土地㈱が分譲した清風園分譲地、そして羽根木のまちを代々守って来られた方に羽根木の森をご案内頂きました。

三回のまちあるきを通じて、敷地の細分化、防災・道路整備への対応等、地域の問題を抱えながらも、住宅地づくりに奔走した先人達の意図を受け継ごうとされる方々の思いの深さを痛切に感じました。また、当然ですが、文献と共に、実際まちを見続ける市民の方々のお話が、地域の理解を深めると言うこと。今後も様々な地域の方々にご協力を頂き、世田谷のまちを歩いていきたいと考えています。